本記事は映画『プラットフォーム』の完全ネタバレ記事となります。未見の方はご注意ください!
映画『プラットフォーム』をようやく見ました。もう、とにかくグロい。うわーっ∑(⊙∀⊙)てなるシーンがたくさんありましたね。SFシチュエーションスリラーなんですが、ホラー映画かと思うほど。
とにかく上から降りてきた「誰かの食い差しの食事」をがむしゃらに食べる映画。なんだこりゃ~( `)3')▃▃▃▅▆▇▉となりました。元々そういう映画だ知っていた上、グロ描写も過剰というたれ込みだったので、組み合わせると相当キツいなと思って避けていた次第です。
が、2024年の秋に映画『プラットホーム2』が出たこともあり、今回初鑑賞しました。いやー、トリマガシの食べ方がもう...。よって今回はまず1作目の『プラットホーム』について、あれこれ書いていきたいと思います。
- 映画【作品名】の作品概要
- 映画【プラットフォーム】の登場人物(キャスト)
- 映画【プラットフォーム】のあらすじ
- 映画【プラットフォーム】の自己管理垂直センターのシステム
- 映画【プラットフォーム】の考察と感想
- まとめ
映画【作品名】の作品概要
原題:El hoyo(英題はThe Platform)/上映時間:99分/製作年:2019年
監督:ガルダー・ガステル=ウルティア
脚本:ダビド・デソーラ、ペドロ・リベロ
出演:イバン・マサゲ、ソリオン・エギレオル、アントニア・サン・フアン、アレクサンドラ・マサンカイ、エミリオ・ブアレ、ほか
垂直型の施設での食料事情の描写が特徴的で、資本主義社会や格差社会を痛々しく見せつけてくるワン・チュエーションスリラー。
監督のガルデル・ガステル=ウルティアさんは、本作で長編映画監督デビューを果たしました。直近では2024年に『Rich Flu (原題)』という映画を監督しています。こちらも格差社会を風刺したSF映画のようで面白そうなんですが、おそらく日本では観れません。
映画【プラットフォーム】の登場人物(キャスト)
ゴレン:イバン・マサゲ(演)
本作の主人公。なんらかの事情があって認定証をもらうため、自らの意思で自己管理垂直センターへ来た男。持ち込んだ私物はドン・キホーテの本。好きな食べ物としてエスカルゴを選んでいる。演じているのは、『パンズ・ラビリンス』や『オール・アバウト・マイ・マザー』にも出演しているイバン・マサゲ。
トリマガシ:ソリオン・エギレオル(演)
ゴレンが自己管理垂直センターに入って最初に同室になった老人男性。建物内のことに詳しく、生き延びたいがゆえ残忍なこともしてしまう。監督いわく、風変わりで面白い男。持ち込んだ私物は、包丁。トリマガシを演じたソリオン・エギレオルは2022年製作の『エルダリー/覚醒』で、主人公を演じている。めっちゃ面白そうな作品。地球温暖化×老人ホラーってどんなんやねん!
イモギリ:アントニア・サン・フアン(演)
長年、自己管理垂直センターの管理局に勤めていた女性で、ゴレンの面接を担当した人物でもある。持ち込んだ私物は、愛犬のダックスフンド「ラムセス2世」。知的で、皆が適量の食事をすれば最下層まで食べ物が届くという考え方の持ち主。低めのボイスが印象的でした。演じているのはスペインの女優アントニア・サン・フアン。『オール・アバウト・マイ・マザー』のトランスジェンダーの役で有名です。
ミハル:アレクサンドラ・マサンカイ(演)
タワー内を巡回し、子供を探しているアジア系の女性。持ち込んだ私物はウクレレで以前の職業は女優。ゴレンが襲われているときに、助けた。情け容赦なく◯人を犯しているが、ゴレンにはなぜか優しい。面接で答えた好きな食べ物はビビンバ。演じているのはフィリピン系スペイン人女優のアレクサンドラ・マサンカイ。
バハラト:エミリオ・ブアレ(演)
ゴレンが6層で出会った黒人男性。持ち込んだ私物はロープ。終盤にはゴレンと共に、プラットフォームに乗って下層に行く。演じているのはエミリオ・ブアレ。
映画【プラットフォーム】のあらすじ
ゴレンは、自己管理垂直センターで目を覚ます。通称は穴といわれている刑務所のような所だ。その部屋は、真ん中に長方形の穴が空いていた。同居人はトリマガシという名の老人男性である。
食事の時間になると、部屋の真ん中に空いた四角い空間にプラットフォームとよばれるテーブルが降りてきて、テーブルの上にはご馳走が乗っている。ただし誰も手をつけていない食事にありつけるのは、一番高いところにある1層のフロアの2人のみ。フロアはずっと下まで続いており、各フロアに2名ずつ配置されている。
ゴレンとトリマガシのフロアは48層で、47組の人々が食事した後のテーブルだった。降りてきた食事は、まるで残飯のようだったが、トリマガシは気にせず食べ物に食らいつく。ゴレンはドン引き=͟͟͞͞(꒪⌓꒪;)。最初は、食事に手をつけようとしなかった。
トリマガシからの情報で、もっと下のほうへ行くと、食べ物がなくなり食事にありつけない人々がいるとわかる。
タワー内では、1か月に1度フロア替えがあり、目覚めると別のフロアへ移動させられる。翌月2人は、171層へ送られた。目を覚ますとゴレンは、ベッドに縛られた状態で、トリマガシに拘束されている。171層では食べ物が残っていない。絶望的な状況を乗り切るためなのか?恐ろしいことにトリマガシはゴレンを食べようとしていたのだ...。
映画【プラットフォーム】の自己管理垂直センターのシステム
自己管理垂直センターは、タワー状の建物です。ゴレンのように認定証欲しさに面接を受けて入ってくる人もいれば、トリマガシのようにうっかり人を◯してしまい、入ってくる人もいます。
センターに入るとき、好きなものを1つ持ち込むことができます。1か月に1度フロア替えがあり、5層にいた人が120層に落ちたり、逆に下層にいる人が上層階へ上がれることも...。フロアが変わる日は、睡眠ガスで眠らされ、目が覚めると別のフロアにいるというシステム。
通常の建物は1階が下になりますが、自己管理垂直センターはその逆ですね。シェフたちのいる0層が1番上で1層が高いところにあるので、そこがややこしいなと思いました。
食べ物を食べれるのは、テーブルがフロアに来ているときだけ。テーブルが下の階へ行ったのに、ポケットに入れたりして食品がそのフロアに残っていると、温風OR冷風が作動しめっちゃ暑くなったり、凍えるほど寒くなったりして、残酷なペナルティーを受けることになるのです。これはある意味、温暖化などの自然災害を想起させられました。
料理は、シェフによって作られていますが、彼らがタワー内の状況をちゃんと把握しているかどうかは不明。たぶん何も知らずに、熱心にご馳走の出来映えだけを考えて料理しているのでしょう。
映画【プラットフォーム】の考察と感想
以下が『プラットフォーム』の気になったシーンについての考察です。
元々食料は人数分なかった
自己管理垂直センター(VSC)に勤めていたイモギリは建物のフロアが200層まであると話していました。それだけ分の食料は送っているから皆が適量を食べれば、最下層のフロアまで食べ物が届くと信じています。
でも実際は、イモギリが聞いていた以上にフロアがあった。管理する側が必要な食料の量を把握できていないんです。その上、上層階の人物がたくさん食べるので、下のフロアへは全く食事が届かないことになっていました。
現代の格差社会の風刺になっている
まあ、これはわかりやすい。富の話ですが食べ物に例えると、生々しくてグロテスクな感じがします。素手で鷲掴みにして食べているところとか、人間の切なさや悲しみを感じてしまいました。
上層階の人は食料を充分食べれる安心した環境にありながら、たかだか1フロア上の人間を羨んだり、妬んだりしています。一方で下層にいる人々は争い、奪い合い、殺し合いが耐えません。生きるためにやるかやられるかの世界で、サバイバル生活を強いられます。利己的にならざるをえない世界は、恐ろしいです。
自己管理垂直センター(通称:穴)の目的は?
穴、すなわち自己管理垂直センターの目的は、人々が自発的連帯感を生み、皆に食料が届くようにすることらしい。平和的に解決できるかどうか、中の人をモルモットにして試しているということでしょうか。恐ろしいところです。
映画『プラットフォーム』はダンテの『神曲』からインスピレーションを得ているらしい。よって自己管理垂直センターは、地獄を表しているような感じです。まさに地獄絵図ですよね。
本作では、自己管理垂直センター以外の描写がなく、外では何が起こっているのかもわかりません。トリマガシのテレビCMの会話から、人々がテレビを見る程度の日常的な生活はできていると予想できます。
ミハルは何者なのか?
常に上層からテーブルに乗って来るミハルは謎の多い人物です。彼女は子供を探しているらしいですが、面接を担当していたイモギリの話では子供は穴に入れないということ。ミハルは一体誰を探しているのかや何者なのか?については『プラットフォーム2』を観れば大体わかります。
ミハルは常に上層のフロアにいるんじゃないか、ミハルのようにたくさん人を◯せば、上層階へ行けるのではないか、など様々な考察がなされています。
子供が最上階へ上がっていくラストは現実か?
結論から言えば、プラットフォームに乗った子供が最上階へ上がっていくラストは、ゴレンの理想だと監督が答えています。よって現実ではありません。だからか映画『プラットフォーム』のラストは、ちょっとスッキリしない感じです。曖昧な結末にすることで、観た人それぞれに、解釈の余地が残されています。
最下層はどこ?333層は存在するのか?
本作で途中まで曖昧なのは、下の層はどれぐらいまであるのか?です。ラスト間際にゴレンが少女を見つけるのが333層なのですが、監督の話によればそこはゴレンの理想が描かれたシーンなので、1作目『プラットフォーム』では、ゴレンは実際に333層に行っていなかったことになります。では果たして333層は存在するのでしょうか?
これについては『プラットフォーム』の脚本を担当したデビッド・デソラが333と666という数字に関して、意図的に使ったとインタビューで答えているのがわかりました。↓ ↓ ↓
よって333層は存在し、タワーの最下層はその下の空洞だと考えられます。333層×2名ずつなので、人の数は666人。
イモギリの提案
33層にいるイモギリは下のフロアの人々に何度も「取り分けた分の食事で済ませてほしい」と頼みましたが、全く聞き入れてもらえませんでした。センター内の状況を考えるとイモギリの提案はとても合理的で、犠牲者を出さずに済みます。それなのにそのような社会主義的な提案を拒絶する人が多い。
なぜなのかと考えると、やはり我慢してやっと上の階まで上がったのだから、その恩恵を受け取りたいと考えてしまうからでしょう。このシーンを観れば、なぜ資本主義が人気なのか、がわかる気がします。死人も出ていて正気の沙汰ではないのに、自分にもチャンスが回ってくるはずと考えたり、競争そのものが好きだったりで、なんやかんやでイモギリの考えを受け入れない人が多い。
私も基本的には資本主義のほうが、自由に稼げるイメージがあって好きですよ。ただ資本主義が暴走し、格差が開き過ぎるとやばいんじゃないかなと思っています。少なくとも私が子供の頃は、ここまで格差は開いていなかったように思う。
映画『プラットフォーム』の登場人物を見ればヤバい人たちだなと思いますが、実は現実もグロテスクなんだと気付かされます。
ゴレンの試みは上手くいったのか
ゴレンはイモギリの考えから影響を受けました。そしてプラットフォームに乗り、食料を取り分けて行けば、最下層のフロアまで食べ物が届くと思いたちます。そして6層にいたにもかかわらず、バハラトと共に下層に降りていきます。ただイモギリとはやり方が違い、暴力的に脅し人々を従わせました。
すると結構下まで食べ物を届けることができた。しかし従わない者を殺害したので、犠牲者も多数出てしまいました。映画『プラットフォーム』は、ほぼ資本主義を批判的に描いているようでいて、同時に社会主義的な思想が浸透せず発生してしまった問題も表現しているように感じました。監督自身も、似たようなことを語っています。
海外の監督インタビューの翻訳によると、以下の文章が見つかりました。
最初から資本主義への批判はあるかもしれないが、ゴレンとバハラットが他の囚人たちに喜んで食べ物を分け与えるよう説得するために社会主義を試みた途端、結局は助けようとした人々の半数を殺してしまうことを私たちは示している。
結局、全員に協力を求めようとしても、結局大きな成果が得られないという時に問題が起こります。ゴレンはパンナコッタと子供を最低レベルにまで引き下げるという目標は達成しましたが、食べ物を分かち合うことについては誰の考えも変えませんでした。
出典:The Platform on Netflix - director explains ambiguous ending
助けようとした人たちの半数が〇んだというので、相当ハイリスクなチャレンジになってしまいました。
パンナコッタのシーンの意味
偉い人が、シェフの作ったパンナコッタに髪の毛が入っているのを見つけ、叱りつけていました。いやいや、気にするのはそこじゃないやろ?みたいな。自分たちの料理を人々がどんな風に食べているか、見たことあるのか?と問いたい。最上階にいる裕福層の顔色しか、見てないんだなと。
物語の後半では、ゴレンが賢者のアドバイスにより、パンナコッタを0層のシェフたちに届けて、下で想定外のことが起こっているというメッセージにしようという話になります。デザートであるパンナコッタは、生きていく上で必ず必要ではない贅沢品。だからおそらく裕福さの象徴であるパンナコッタを1つ残しておくことで、我々にも人間性が残っていると示したかったのでしょう。本作においてのパンナコッタは、ある意味希望です。
ただ上記の髪の毛のエピソードがあるため、偉い人やシェフたちはパンナコッタを見つけても、髪の毛が入っていたから戻ってきたんだろうとスルーされてしまいそうだなと思いました。全く皮肉な話です。
終盤にゴレンとバハラトは、少女にパンナコッタを食べさせることができました。必死で死守した希望を子供に託すことができたのだと思います。
なぜ曖昧な結末なのか?
映画『プラットフォーム』の結末は、ゴレンのチャレンジが0層の人々に伝わったのかどうか、はっきりしません。パンナコッタを少女に食べさせて、代わりに少女が0層に昇るべきだと、ゴレンが気づく。少女がプラットフォームに乗り上昇中のところで、映画は終了。0層の人々のリアクションがわからないんで、多少モヤりました。
実は少女が0層に昇った後のシーンも撮影されたようですが、解釈の余地を残したかったという監督の意向により使われていません。だから観終わった後も、どうなったのかあれこれ考えてしまいます。
まとめ
経済的不平等を描いたグロテスクなディストピア寓話。
本作のプロットはキリスト教と、深く結びついているのだろうということは、観ればなんとなくわかります。ゴレンはイエス・キリストだというような解説をしている方もおられました。残念ながら、私は聖書に詳しくないので、そこは考察が不充分です。
実は個人的には『プラットフォーム2』のほうが面白いと思っているので、次回はその考察・感想を書いてみたいと思います。最後までお読みくださり、ありがとうございます!
追記:プラットフォーム2の考察・感想を書きました。↓ ↓ ↓






