アナログちゃんのこっそり映画鑑賞記

自宅でこっそり鑑賞した映画についてぽそぽそつぶやきます。

ザ・スクエア 思いやりの聖域 【映画感想後編】完全ネタバレ

ザ・スクエア 思いやりの聖域

原題:The Square/上映時間:151分/製作年:2017年

ザ・スクエア 思いやりの聖域(字幕版)

監督:リューベン・オストルンド

脚本:リューベン・オストルンド

出演:クレス・バング、エリザベス・モス、ドミニク・ウェスト、テリー・ノタリー

 

なが~い前置き(すっ飛ばしたい方は上の目次より「人々の恥の感情を意識して観る【ザ・スクエア 思いやりの聖域】の主な見せ場」へお進みください)

しばらく前にツイッターで読書感想文って必要?みたいなハッシュタグを見つけました。私がこれを見て思い出したのは読書感想画の嫌な思い出です。小学生に読書感想画を描かせるのは良いですが、子供に対していちいち注文が多すぎます。まず、日本の昔話とか、教科書に載っている物語を指定してくるじゃないですか?好きなお話じゃだめなのですかね。

 

で、そもそも小学校の図工って美術の先生が教える訳じゃなくて、担任の先生が教えますよね。私はその担任とウマが合わず、心の中でロッテンマイヤー(以下ロッテン)と名付けていました。ロッテンは私の絵を見て、「何で鬼なの?」と攻撃を開始。ロッテンの理想の感想画はきっと「おじいさんとおばあさんが優しく微笑んでいて、おじいさんの手が顔の5倍ぐらいはあるパースの狂ったほのぼのとした絵」なのだと、私は即座に感じ取りました。

 

でも私が描きたいのは、そんなのじゃなく、ごつごつとした複雑な鬼の姿なのです。子供は暇ですから、描きごたえのある題材を選ぶのは、自然な流れでしょ?レイアウトは真ん中に黄色いオニ、両サイドに赤鬼と青鬼です。イカツい棒を持っていてそれらを如何に刺々しく描くか?が私の課題でした。しかしロッテンはこの絵が気に入らず、悪者をメインで描くのは良くないと言い始めました。そんなこと誰が決めたのですか?と言いたい。

 

またロッテンは点画で描くように指示したのになぜ守れないのか?とも言いました。私はオニをベタ塗りしていたからです。でも、そもそもなぜ描画方法とかを指定されなきゃならないのですかね?賢い生徒はみんなロッテンの気に入るような、点画で水彩の良さが活かされた老後の趣味の絵葉書みたいなのを描いてました。

 

私がいうことを聞かないとなると、ロッテンは勝手に私の筆を取り無理矢理点画にしようとしました。私はそのとき、この種の人物の残酷さを見た気がします。更には平気で子供に恥をかかせる無神経さ...。これは「従わないなら、恥をかかせるぞ」という脅しですね。

 

確かに私はとある市内のスケッチ大会で賞をもらったりで、少しうぬぼれていたかも知れません。しかしそんな人はごまんといて、自分の絵が大したことないことは子供であっても重々知っています。しかしロッテン、あなたの絵よりは随分マシだと言いたい。その鬼の点画は本当に酷かったです(笑)。それに人の絵に断りもなく勝手に手を加えるのは、明らかにマナー違反ですよね?

 

しかし、私はこの件であることに気が付きました。恥と美はなにか関係があるのだろうな...ということです。ペンは剣よりも強しですよ!覚えとけよロッテンマイヤー

 

ロッテンマイヤーとは昭和のアニメ『アルプスの少女・ハイジ』に出てくる意地悪な教師です。若い方でピンとこない方もいらっしゃるかもしれませんので、一応説明させていただきます。

 

人々の恥の感情を意識して観る【ザ・スクエア 思いやりの聖域】の主な見せ場(完全ネタバレします)

すいません、前置きがえらく長くなってしまいました。ここから本題に入ります『ザ・スクエア 思いやりの聖域』はコメディ作品であると同時に、不愉快な気分を存分に味わえる奇妙なバランスの作品だと思います。なぜ不快なのか?それは本作品が私の、あるいは私達の羞恥心を大いに刺激してくるからだと思いました。レビューの後半は、これらの視点から大きなみどころをご紹介します。

 

話は変わりますが、クリスティアンってあんまり仕事してないですよね。それもこの作品のプチ不快ポイントですね。動画の件に関しても、チェックさえ怠らなければまあ大ごとにはならなかった。慎重さが足りないんだよ、クリスティアン

恥の感情の疑似体験をさせられるから不快①トークショーのシーン

私がもっともショッキングだったのは、トークショーのシーンです。これはクリスティアンが行っている参加型トークショーで、神経に障害を持つ方が急に静まり返った会場で猥褻な言葉を大声で発言するというものでした。人々のリアクションは極めて印象的で、場の気まずさがひしひしと伝わってきましたよ。そしてこの映画全てを通して感じたのは、恥ずかしいという気持ち。

 

このシーンであればつまりは、この障害を持つ方の発言が恥ずかしいのではなく、周囲の人々が極めて恥ずかしくない行動を取ろう、すなわち公平であろうとしている所が注目ポイントなわけです。しかし、この人々の微妙な心の揺らぎ具合が伝わってきて、とてもいごこちが悪い。そして遂にはシビレを切らした一部の人間が、非難し始めます。しかし大抵の人はこれを恥ずかしいこととし、自分はああいう冷酷な人間にはなるまいと粘っているかのように感じました。もしも気持ちが揺らいで感情的になってしまったら、情けない自分を見ることになるからです。

 

またオストルンド監督は、北欧と日本の文化で『恥の感覚』が特に似ているとインタビューでも語っているようです。

「生存本能のスイッチが入ると、文化なんて消し飛んでしまうんだ。ぼくらは自分の行動を自分でコントロールすることなんか、できないのかもしれない。でも、恐怖が過ぎ去ってわれに返ると、再び文化を取り戻す。それが『面目を失う』という感覚、つまり『恥』だよ。この恥が生存本能を上回って、自殺してしまう人もいるよね。動物のなかで人間だけがもつ普遍的な感覚だと思う」

wired.jp

 

一部の書物では恥の感覚は日本独特のもの、とか言われていますが私は本当にそうなのかなと思っていました。だから、オストルンド監督がこのような発言をするのは、非常に興味深いです。猿パフォーマーのショーのシーンなどを見ていてもそうですね。ストレートに言ってしまえば、サル人間から標的にされると皆から注目され、恥をかかされるから不快なのですよ。しかし恥ずかしいこと=悪という認識があるが故、治安が保たれているということだってあると思います。ただ政治に関しては恥ずかしがらず時に怒ったり、はっきり意見した方が良いかも知れません。

 

困っている人を助けなかった、見て見ぬふりをしたなどの理由で「ああ、あの時自分は見苦しいことをした...」と思うのは悪夢です。それは罪の意識とはちょっと異なる感覚ですね。単純に裁かれることが怖いというよりも、自分の心が汚らわしく感じられ不快だということです。よって『ザ・スクエア 思いやりの聖域 』は監督が恥と道徳心を結びつけて表現したというところに、映画としての面白さが感じられました。また恥の感性は、美の意識とも深く結びついていると思います。

 

恥の感情の疑似体験をさせられるから不快②猿パフォーマーのショー

f:id:analogchan:20200530122840j:plain

画像引用:http://www.transformer.co.jp/m/thesquare/

続いては、ガラ・パーティーでモンキーマンが大暴れするショーのシーン。この場面を観て思ったことは、私は過去に似たような経験をしているのではないか?ということです。もしくは多くの方が、かも知れません。例えば比較的内輪だけのライブに行った時無茶振りされ奇妙なダンスを強要されたとか、駅の待合室でぐだぐだ絡む酔っぱらいがじっとこちらを見ているとか、目があったら最後....という状況に追いやられるパターンですね。それは無神経な人から辱められた時の、何とも言えない気分にも似ています。このガラ・パーティのシーンでも、居合わせたセレブ達一人一人がこのパフォーマンス早く終わらないかなぁと思ったはずです。

 

その中で運悪く選ばれてしまったジュリアン。パフォーマンスですから、止める訳にいかないのもありますが、周囲の人々は皆保身に専念しているように見える。内心「このパフォーマーうぜぇな」もしくは「このサルうぜぇな」と思いながら、表面的には上品な笑みを浮かべ取り繕っている感じです。そして遂にジュリアンは「クリスティアン、何とかしろ!」と叫びます。そうこの時もクリスティアンはボケ~っとショーを観ており、仕事をしていない(笑)

 

一方猿パフォーマーの方は動物に敬意と恐れを抱けと言わんばかりで、次々に人々を威嚇します。私は犬が大好きですが、まだ子供の頃であった昭和の時代の野良犬たちは、本当に怖かったですよ。3匹ぐらいでつるんでいて、まるで『ひげよさらば』に出てくるような、ガラの悪い犬達でした。私は急遽、ジャングルジムに上り避難したのを覚えています。そもそも獣は恐ろしいのです。

 

※ひげよさらばとは、1980年代にNHKで放送されていた野良猫たちがわちゃわちゃでてくる子供向け人形劇です。子供向けであるにもかかわらず内容が何だか過激で、見てはいけないものを見てしまった感が多分にありました。後味は毎回良いと言えませんが、妙に惹きつけられた作品です。

f:id:analogchan:20201006194753j:plain

画像の方がよりイメージが伝わりやすいとは思いますが、使用出来そうなものがなかったので、ちょっと描いてみました(笑)。気になった方は検索してみて下さい。

 

このシーンを観ていて不快なのは、「まぁパフォーマンスだし、なるだけ寛容であろう」と努めていた人々が本能的な怒りを露わにしてしまい、逆に恥をかいてしまうという結末に着地するからなんだと思いました。「サルごときにブチ切れてたまるか」という人々の妙なプライドをちくちく刺激し、反撃しないと絡まれる、しかし反撃すると恥をかくという究極の選択を強いられた時のジレンマのような。

 

だからセレブリティを皮肉っぽく表現しているにもかかわらず、どこかこの人達側にやはり自分を重ね合せてしまう。嫌な気分を味わいたくないのなら、あっさりサル人間の方に感情移入すれば良いだけのことなのですがね。

 

そして遂にサル人間は女性の方に向かい、性的な暴行を加えようとしはじめます。ここまで来たときやっと人々はこれはマズイという理性での判断と、「法に関わるので」という正当性、もう我慢の限界だという感情の爆発によってパフォーマーを懲らしめるのです。

 

しかし、そうとなったら今度は手のひらを返したように、サル人間を悪人扱いし攻撃。大衆心理の恐ろしさが、よく描かれていると思いました。また、通常は抑圧されている人間の狂暴さが露わになる瞬間の醜さも、みどころです。人々はサル人間を取り押さえ懲らしめましたが、挑発に負けてしまったという羞恥心は消えないでしょう。すなわち猿パフォーマーに対しての憎しみは晴れても、スマートに問題を解決できなかった自己嫌悪感は付きまとうということです。何とも後味の悪い思いをさせられるシーンでした。

 

ドン引きするようなYOUTUBE動画をちゃんと確認せずにすんなりOK

f:id:analogchan:20201005215753j:plain

画像引用:https://twitter.com/TheSquareJP

ザ・スクエア」を展示するにあたって、このインスタレーションを事前に多くの人々に知ってもらおうと、YOUTUBEで動画が製作されることになりました。この広報担当をしたのは若者2人。彼らはより刺激的な内容の動画で、注目を集めさえすれば良いと考えています。そんな彼らが製作した動画は、「貧しい姿をした金髪の少女が四角の中に入ると爆発してしまう」という極めて残酷な内容のものでした。いやいやいや...マジでこれはシャレになってない。何でこんなことを(汗)

f:id:analogchan:20200626180525j:plain

 画像引用:http://www.transformer.co.jp/m/thesquare/

ところが責任者であるクリスティアンは、この動画にあっさりOKを出してしまいます。彼は例の財布の事件以降、そのことで頭がいっぱいだったからです。ロクに確認もしないままOKが出されたもので、周囲の美術館関係者もさすがに戸惑います。そして忘れた頃に、動画に対しての非難の声が殺到し大炎上。クリスティアンは責任を取る形で、辞任することとなりました。常識のない若者に気を許したがゆえに、恥をかいてしまうという結末。またこの若者らが、バズるのであればどんな事をしても良いと思っている辺りが怖いです。「この動画を観て傷付く人がたくさんいるだろう...」とか考えないのでしょう。きっと彼らはゲームとかラジコンをガチャガチャいじる感覚でこれをやっちゃったんですよ。でも結果的には皮肉にも本件で多くの人々にこの企画が認知され、話題となる始末です。宣伝効果はあった...という。とほほ...。

少年が消えてしまい、後味の悪いラストへ

ラスト付近では顔は子供、口調が大人な少年が遂にクリスティアン宅まで押しかけ、罵倒しまくります。注目すべき点はこの少年が「謝れ」をひたすら繰り返し、謝罪を要求してくるところです。なぜなら、濡れ衣を着せられ恥をかかされたから...。しかしクリスティアンはそもそも人を助けた挙句、こうなったという被害者意識があるので謝りたくない訳です。その上2人の娘が見ているので、メンツも保ちたいという変なプライドが顔をのぞかせるのでした。

 

そしてとうとうクリスティアンはうっかり子供を跳ね飛ばし、そのせいで彼は階段からころげ落ちてしまいました。「たすけて~」と何度も叫ぶ声、しかし彼はこれを無視してしまいます。その後あの子供は、どのような経緯で消えたのかな?と思いました。考えられるのは以下のどちらかだと思います。

 

1.団地の住民の言うとおり、おそらく引っ越した

2.行方不明、もしくは死亡

 

ゴミ置き場をあさってまで少年の連絡先を探すあたり、クリスティアンは「まさか!」とは思いつつ「2.行方不明、もしくは死亡」のケースを疑い、不安になっているわけです。そして結局少年の住む団地までもう一度出向くのですが、残念ながら少年はもうそこに住んでいませんでした。安否が確認出来ない...。彼はおそらく引っ越したのでしょう。しかしはっきりとした事実が掴めない為、何とも後味の悪い思いをするわけです。きっと、クリスティアンは罪の意識から解放されることはなく、「なぜオレはあの時素直に謝らなかったのか?」とか「少年の助けを求める声がある内に、階下に降りてみれば良かった」などと自分を責めることでしょう。しかしここで警察沙汰にはならないあたりが、この監督の作風だなと思いました。もうなんと言うかはっきりせずビミョー!!

f:id:analogchan:20201006210710j:plain

画像引用:https://twitter.com/TheSquareJP

そしてここでも恥の意識がつきまといます。なぜそう思うかというと、2人の娘がそれを見ているという表現があるからです。クリスティアンは彼女らの視線を感じ取りますが、それはどちらかと言うと裁きの視線ではないですね。なぜなら、娘らは駐車場で待機するのを「怖いから」という理由で嫌がり、団地まで一緒に行くことにしたからです。2人の娘たちは、「パパはきっと何か悪いことをしたんだ!」と直感的に感じ取り、心配そうに見ています。それを観ているとこちらも恥ずかしくなり、気まずい嫌~な気分を味わうのだと思いました。結局父親としてのメンツも立たず、例の動画の一件で仕事も辞任しているという最悪の結末へと向かう訳です。

現代美術の批判をしているか?

「現代美術を批判している!」とか「いや、現代美術は批判されていない」など様々な意見があるようですが、そもそも現代美術と言っても色々あるわけで、ちょっとざっくり過ぎないかなと(笑)。その中でも『ザ・スクエア』に登場するジャンルの、コンセプチュアルアートやミニマルアートから感じるのは、何となく胡散臭いなということ。たしかに自分は勉強不足で、現代美術がよく分かりません。また一般的に、このジャンルは一部の人にしか理解されないというイメージです。

 

また現代美術(主にコンセプチュアルアートやミニマルアート)が分からない、と言っても「ではあなたは"パウル・クレー"を理解しているのか?」と聞かれると、それもまた微妙ですね。でもウォーホルやクレーやダリやシャガールなどは若い頃から好きで、いずれも本物を鑑賞したことがあります。良いな、好きだなと思うことはできる。だから私の場合、よくよく考えてみると「現代美術が分からない」のではなく、「現代美術が好きなのか、否かが分からない」ということになりますね。

 

だいたい、いきなり箱状の物がただ一列に並んでいるとか、木の切り株みたいなものにどうリアクションすれば良いのでしょう。あえて申し上げるのならアーティストよりも、これらをとりまく世界の持つスノッブな雰囲気に嫌悪感を覚えるのだと思います。よく分かってもいないのに、分かった様なふりをして「う~ん」と唸る人達。前置きで長々と書きました、ロッテンのような人もこの中に入るのかなと。

f:id:analogchan:20200602100127j:plain

画像引用:http://www.transformer.co.jp/m/thesquare/

そもそもこんなものを見せられて、何が「う~ん」なのか聞きたい。ただの砂利の山じゃないですか?

 

 で、劇中ではこの砂利の山が一部崩れて、どうするか?という話になるのですね。そこが面白いなと思いました。それでクリスティアンは、あっさり簡単に手直しさせてしまいます。どこまでテキトーやねん!

 

だからこの映画は、現代美術そのものを批判しているというよりは、その周辺の細かい事情みたいなのが嫌味たっぷりに表現されているのかなと思います。すなわち砂利の山そのものを批判するというよりも、その管理や運営の仕方がこんな感じですよ!って言ってるのだなと。冒頭のインタビューシーンもそうですし、本作品のメインとなるコンセプチュアルアートザ・スクエア」も、キュレーターはこんな感じのセレブなんですよと批判している。

 

また、多くの人がサルの絵と人の絵を区別できないんだよって感じの皮肉も入っている気がします。それは言いかえれば、現代美術館に展示され、四角い枠の中に入った途端に評価する人が出てくるよねって事でもあると思います。

 

 

余談ですが、バンクシ―の絵を街頭で安く売ってもほとんどの人が見向きもしない...というYOUTUBE動画を見たことがあります。高価だからとか有名だからという理由だけで、価値があると思い込んでしまうという悲劇...。私は以前、天然原石を扱うアクセ・雑貨ショップで7年ぐらい働いておりましたが、今、原石を見せられても、はっきり言って全く自信ないですね(笑)。さすがに50万、100万するものと5,000円ぐらいのものの区別はつくと思いますが、これはアクアマリンでこの大きさだからきっと高いだろうとかそういう判断になってくると思います。だからこういう批判的なものを絵で見せられると、凄くイタイと思うんですよね。そこら辺もホント、意地悪だなぁ!

 

ただし、「人気だから」とか「値打ちがあると聞いたから」と言ってなりふり構わず安易に飛びつき、その行為に何の疑いも持たない連中ってどうなのかな?とも思います。見ていてちょっと、恥ずかしいですね(笑)

長い記事を最後までお読みいただき、ありがとうございます。

 

 

ザ・スクエア 思いやりの聖域(字幕版)

ザ・スクエア 思いやりの聖域(字幕版)

  • 発売日: 2018/09/21
  • メディア: Prime Video
 
ザ・スクエア 思いやりの聖域(吹替版)

ザ・スクエア 思いやりの聖域(吹替版)

  • 発売日: 2018/09/21
  • メディア: Prime Video
 
ザ・スクエア 思いやりの聖域 [Blu-ray]

ザ・スクエア 思いやりの聖域 [Blu-ray]

  • 発売日: 2018/11/02
  • メディア: Blu-ray